
一人マダミスは、はたして「マダミス」なのか?
前回、マダミスの面白さの正体は「物語の当事者になること」「その場のメンバーで二度と同じにならないこと」だとお話ししました。……でも、ひとりで遊ぶマダミスは? 相手がいないのに、あれは「マダミス」と呼べるのでしょうか。今日は、この気になる問いを正面から検証します。案内役は物知りカラスのイマクロウと、好奇心旺盛な猫のミス・マダムです。
「一人マダミス」という、ちょっと不思議な言葉

ねえイマクロウ。この前、マダミスの面白さは「物語の当事者になること」と「その場のメンバーで二度と同じにならないこと」だって教わったでしょう。でも……お店で「ひとりで遊べるマダミス」っていうのを見つけたの。相手がいないのに、あれって「マダミス」なのかしら?

むっ……。いいところに気づいたな。じつはそれ、愛好家のあいだでもときどき蒸し返される、なかなか厄介な問いなんだ。
前回の記事で、マダミスの面白さを5つの角度から分解しました。そのなかで大きな柱として挙げたのが、**「他者との掛け合い」と「一度きりの一回性」**です。
ところが世の中には、ひとりで遊ぶことを前提に設計されたマダミスが存在します。相手がいない。掛け合う卓の仲間もいない。それでもなお「マーダーミステリー」を名乗っている——これはいったい、どういうことなのでしょう。
この記事で扱う「一人マダミス」
ここでは主に、ひとり用に設計された商業作品を指します。本来は多人数で遊ぶシナリオを、ひとりで読み進める遊び方もありますが、それは記事の後半で「ある実験」として登場してもらいます。

なんだか、答えが「イエス」か「ノー」かで、けっこう揉めそうな話ね……。

そうなんだ。だから今日は、いきなり結論を出さない。マダミスを成り立たせている“条件”を一つずつ取り出して、一人マダミスに当てはめていく——いわば健康診断のようにな。どの条件が生き残って、どの条件が引っかかるのか。それを見れば、答えはおのずと浮かび上がってくる。
マダミスの“条件”に当てはめる早見表
前回挙げた「マダミスの面白さ」を、成り立ちの条件として5つに整理し直しました。これを一人マダミス(ひとり用作品)に一つずつ当てはめると、こうなります。
| マダミスの条件 | それは何か | 一人マダミスでは |
|---|---|---|
| ①当事者性 | 観客ではなく、物語の“中”に立つ | ◎ 残る(むしろ濃い) |
| ②選択(自分で動かす) | 決まった大枠の中を、自分の手で進める | ◯ 残る |
| ③一回性 | 真相を知ると、初見には戻れない | ◎ 残る(純度が上がる) |
| ④秘密の非対称 | 自分だけが握る、役と情報 | △ 半分になる |
| ⑤他者との掛け合い | 生身の相手との交渉・駆け引き | ✕ 消える |

上の3つは残って、下の2つが怪しい……。きれいに割れたのね。

ここからがさらに面白い。残る3つを見れば「一人マダミスも立派なマダミスだ」と言いたくなるし、欠ける2つを見れば「やっぱり別物では」と言いたくなる。まずは残るものから、順に見ていこう。
残るもの①当事者性——ひとりでも、物語の中に立てる
マダミスのいちばん根っこにあるのが、あなたが「観客」ではなく「当事者」になるという感覚でした。事件が起きた部屋にいるのは、ほかならぬあなたのキャラクター。この当事者性は、ひとりでもまったく損なわれません。
一人用に設計されたマダミスでは、あなたにも役が与えられます。名前があり、過去があり、この事件に関わる動機がある。プレイヤーは探偵のように事件を外から眺めるのではなく、その渦中の一人として真相へ近づいていきます。むしろ相手に気を取られないぶん、物語への没入はより深くなることさえあります。

ひとりだと、まわりに合わせなくていいから、かえって物語に集中できそう。

うむ。「舞台の上に立つ」という核心は、観客がいようがいまいが変わらん。ここは文句なしの合格だ。
残るもの②選択——ここでゲームブックに近づく
次の条件は、決まった大枠の中を、自分の手で選んで進めること。これも一人マダミスにしっかり残ります。どの手がかりを先に調べるか、どの仮説を追うか。プレイヤーの選択が、物語の進み方を形づくります。
ここで、ひとつ隣のジャンルが顔を出します。ゲームブックです。「あなたの選択で物語が分岐していく本」——そう聞くと、一人マダミスとよく似ていると感じませんか。

言われてみれば……。一人マダミスって、推理小説よりゲームブックに近い気がするわ。

鋭いな。理由は「立ち位置」にある。推理小説は、探偵の推理を客席から眺める“観客”の体験——当事者性も、自分で動かす選択もない。いっぽうゲームブックは、自分の選択で物語を進める“当事者”の体験だ。一人マダミスは、明らかに後者の側にいる。
つまり①当事者性と②選択という2つの条件は、一人マダミスを推理小説から遠ざけ、ゲームブックの隣へと引き寄せます。ここに「役を演じる(ロールプレイ)」という香りが加わったもの——それが一人マダミスの姿だ、と言うこともできます。
貶しているわけではありません
「一人マダミスはゲームブックに近い」というのは、格下だという意味ではありません。よくできたゲームブックに、役になりきる没入と一回性が乗った体験——そう捉えると、一人マダミスの魅力はむしろくっきり見えてきます。
残るもの③一回性——むしろ、純度が上がる
3つめは一回性。真相を知ってしまえば、初見の驚きには二度と戻れない。これはマダミスを強く特徴づける条件でした。
一人マダミスでも、この一回性はそのまま残ります。それどころか、純度はむしろ上がるとも言えます。多人数の卓では、誰かの発言でうっすら真相が読めてしまうこともありますが、ひとりなら、真相との一対一の対峙が最後まで守られます。あなたが自分の手で最後の扉を開けるまで、驚きは手つかずのまま取っておかれるのです。

「二度と初見に戻れない」のは、ひとりでも同じ……というより、もっと純粋なのね。

そのとおり。ここまで見ると、当事者性・選択・一回性と、マダミスの背骨は立派に通っている。「これはマダミスだ」と言いたくなるのも当然だ。……だがな、ミス・マダム。残しておいた2つを、そろそろ見なければならん。
欠けるもの——「秘密」は、誰に対しての秘密だったのか
ここからが、この記事のいちばんの山場です。早見表で△と✕がついた、④秘密の非対称と⑤他者との掛け合い。じつはこの2つは、一本の糸でつながっています。
多人数のマダミスでは、あなたは自分だけが知る秘密を握っています。「本当は自分が犯人だ」「じつは被害者と因縁があった」——こうした秘密を、他のプレイヤーに悟られないよう振る舞う。その緊張こそが、マダミスの醍醐味でした。
ところが、一人マダミスにはその秘密を隠す相手がいません。

あっ……。秘密を持っていても、隠す相手がいなかったら、ドキドキしようがないのね。

そう、ここで一つ、大事なことに気づく。マダミスの「秘密」というのは、それ単体では張り詰めない。他のプレイヤーという“観客”がいて、初めて緊張する。つまり④秘密は、⑤他者とセットで、はじめて機能していたと言えるな。
これは、前回の記事では見えにくかった発見です。私たちは「掛け合いが面白い」「秘密の役が面白い」と、なんとなく別々の魅力として並べていました。けれど一人マダミスに当てはめてはじめて、この2つが分かちがたく結びついていたことが見えてきます。
- 相手がいるから、秘密は隠す価値を持つ
- 相手がいるから、嘘は見破られる危険を持つ
- 相手がいるから、告白は勇気を必要とする
この記事のいちばんの発見
「他者との掛け合い」は、単なる演出のひとつではありませんでした。それは、**秘密に緊張を与える“観客席”**そのものだったのです。一人マダミスから他者を引き算すると、掛け合いだけでなく、秘密の張り詰めまで一緒に失われる——ここが、判断の分かれ目になります。

じゃあ結局、一人マダミスはマダミスなの……? 残る3つを見ればイエスだし、欠ける2つを見ればノーだし。

うむ。ここまでは、条件を並べただけだ。最後の判断は——じつは、私が下すものではない。あなたが下すものだ。
あなたはどっち派?——自分で確かめる方法
「一人マダミスはマダミスか」の答えは、結局こう言い換えられます。あなたにとって、④秘密と⑤他者は“柱”か、それとも“飾り”か。
- 柱だと思う人(=掛け合いと秘密の緊張こそマダミスの本体)にとって、一人マダミスは「マダミスの形をした、別の楽しい何か(ロールプレイ付きゲームブック)」に見えます。
- 飾りだと思う人(=当事者性と一回性さえあればマダミス)にとって、一人マダミスは「立派なマダミスの一種」に見えます。
どちらが正しい、という話ではありません。大事なのは、あなた自身がどちらの手ざわりを求めているかです。そして、それを確かめる良い方法があります。
いちばん正直な“物差し”
本来は多人数で遊ぶシナリオを、ためしにひとりで読み進めてみる——記事の前半で「後で登場してもらう」と言った、あの遊び方です。相手を引き算した、いわば純粋な実験。これをやってみて、もし物足りなさ・手持ち無沙汰を強く感じたなら、あなたにとって④⑤は“柱”です。逆に、それでも物語を十分に味わえたなら、あなたにとっては“飾り”——一人マダミスも立派なマダミスなのです。

なるほど! 「やってみて、物足りなかったら、あなたは掛け合い派」ってことね。答えを教わるんじゃなくて、自分で測るのね。

そういうことだ。ちなみに一人用に“設計された”作品は、他者がいない前提で物語がしっかり組まれているから、この物足りなさが出にくいよう工夫されている。だから「一人用作品なら満足、多人数を一人で回すと物足りない」——そう感じるのも、ごく自然なことなのさ。
結論:線引きは、あなたの中にある
長い検証でしたが、あらためて整理します。マダミスを成り立たせる5つの条件を一人マダミスに当てはめると——
- ①当事者性:残る。ひとりでも物語の中に立てる
- ②選択:残る。だからゲームブックの隣に位置する
- ③一回性:残る。むしろ純度が上がる
- ④秘密の非対称:半分になる。隠す相手がいない
- ⑤他者との掛け合い:消える。そしてこれが④の緊張も連れ去る
残る3つを重く見るなら、一人マダミスはマダミス。欠ける2つを重く見るなら、別の楽しい何か。線引きは作品の側ではなく、遊ぶあなたの中にあります。

「マダミスか、そうでないか」を決めようとして、いつのまにか「わたしはマダミスの何が好きなのか」を考えてたわ。

それでいい。この問いのいちばんの収穫は、白黒つけることではなく、自分がマダミスの何に惹かれているのかが、くっきり見えることだ。「一人マダミスはマダミスか」——その問いは、あなた自身への問いでもあったわけさ。
一人マダミスも、多人数のマダミスも、どちらも物語を「生きる」ための扉です。まずは気軽な一作で当事者になってみて、そのうえで一度、生身の相手との卓も囲んでみてください。両方を知ったとき、あなたの中の「線引き」は、きっとくっきりと立ち上がっているはずです。